3月、毎年この時期になると、想いを巡らすことがある。
ついにその日が来た…
1991年3月13日 千葉県
学生時代に終止符を打ち、いよいよ社会人生活へ踏み出す。
本日、就職先である九州・福岡へ旅立つ。
同時に、親元を離れることとなった。
独り暮らしに備えて、最低限の家財は数日前に購入し、
引っ越し荷物共々、明日福岡着で送る段取りで完了している。
昨日、長年通った理髪店へ最後の散髪に行った。
「千葉を捨てる!?」
理髪店の奥さんは、髪を切りながら単刀直入に仰った。
出発まで2時間余り、
私は自分の部屋でひとり、思いっきり泣いた。
今まで何不自由なく育ててくれた親との別れ。
それに甘えていては自分が駄目になるような気がして、自分を追い込んだのだが、
この先、大丈夫なのか。
不安な気持ちも込み上げてきた。
やっぱり寂しい。
「ご飯できたよ」
母の声だった。
私は急いで涙を拭いた。
食卓には、大好物の「ちらし寿司」が。
いつもこのテーブルで家族みんなで食事をしたが、それも今日で最後。
私の気持ちを察したのか、
静かな食事となった。
母の手料理、噛みしめていただいた。美味しかった。
今日、旅立ちに選んだのは、
夜行列車。
東京発17:05 寝台特急はやぶさ号 である。
新幹線、飛行機では速過ぎて、気持ちの切り替えができなかったから。
14:00出発時間となった。
最寄りの駅まで父が車で送ってくれることになった。
駅までの道中、
見慣れたこの街ともお別れだと思うと
いつもの旅行とは全然違う、寂しさがあった。
駅に着くと
「じゃあ行ってこい」
父が送り出してくれました。
「うん、行ってきます、ありがとう」
お互い、それが精一杯の言葉でした。
母は、一緒に東京駅まで同行してくれました。
16:30
長距離列車用ホームの東京駅10番線にエスカレータで上がりました。
16:49
寝台特急はやぶさ号が威風堂々入線してきました。
「かっこいいね」
母は言いました。
B寝台個室に乗り込みます。
母は、
「これで九州まで、いいね」
と、もう別れが迫っているのに、盛んに列車を誉めます。
発車時刻が近づき、
「じゃあね、気を付けるんよ」
母は外へ。
17:05
エアーの音と共にドアが閉まり、
はやぶさ号はゆっくりと動き出しました。
形のしっかりとした寂しさが込み上げてきました。
窓外には手を振る、母の姿が。
列車は東京を離れ、一路九州へ。
今回、個室を選んで正解でした。
落ち着いて、これまでの人生の整理ができ、
そして、
これから先、新しい街で頑張るんだという気持ちが湧いてきました。
勿論、あらためて両親への感謝も。
「23年間、僕を育ててくれて本当にありがとう」
「さようなら」
明日朝、列車は博多駅に到着する。
新たな人生が始まる。
・・・人生の岐路はいつも夜行列車!(^^)!
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